押印について(その1)

内閣府・法務省・経済産業省が連名で「押印についてのQ&A」を公表されました。

押印に関する民事訴訟法上の取扱いや効果、電子署名サービスの利用などについて整理したものになります。

一部を抜粋して内容を紹介します。

 

問1.契約書に押印をしなくても、法律違反にならないか。

・ 私法上、契約は当事者の意思の合致により、成立するものであり、書面の作成及びその書面への押印は、特段の定めがある場合を除き、必要な要件とはされていない。

・ 特段の定めがある場合を除き、契約に当たり、押印をしなくても、契約の効力に影響は生じない。

 

改正された民法522条の条文です。

契約は両当事者の申込みとその承諾という2つの要素で成り立つものであり、書面の有無や押印の有無といった形式ではなく、申込みとその承諾の有無が優先されます。

 

問2.押印に関する民事訴訟法のルールは、どのようなものか。

・民事裁判において、私文書が作成者の認識等を示したものとして証拠(書証)になるためには、その文書の作成者とされている人(作成名義人)が真実の作成者であると相手方が認めるか、そのことが立証されることが必要であり、これが認められる文書は、「真正に成立した」ものとして取り扱われる。民事裁判上、真正に成立した文書は、その中に作成名義人の認識等が示されているという意味での証拠力(これを「形式的証拠力」という。)

が認められる。

・ 民訴法第 228 条第4項には、「私文書は、本人[中略]の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」という規定がある。この規定により、契約書等の私文書の中に、本人の押印(本人の意思に基づく押印と解釈されている。)があれば、その私文書は、本人が作成したものであることが推定される。

・ この民訴法第 228 条第4項の規定の内容を簡単に言い換えれば、裁判所は、ある人が自分の押印をした文書は、特に疑わしい事情がない限り、真正に成立したものとして、証拠に使ってよいという意味である。そのため、文書の真正が裁判上争いとなった場合

でも、本人による押印があれば、証明の負担が軽減されることになる。

・ もっとも、この規定は、文書の真正な成立を推定するに過ぎない。その文書が事実の証明にどこまで役立つのか(=作成名義人によってその文書に示された内容が信用できるものであるか)といった中身の問題(これを「実質的証拠力」という。)は、別の問題であり、民訴法第 228 条第4項は、実質的証拠力については何も規定していない。

・ なお、文書に押印があるかないかにかかわらず、民事訴訟において、故意又は重過失により真実に反して文書の成立を争ったときは、過料に処せられる(民訴法第 230 条第1項)。

 

要約すると、文書に押印があると作成名義人によってその文書に示された内容が信用できるものであるかを立証することの負担が軽減されます。しかし、押印があるからといってその文書が証拠としてどれだけ役に立つのか(「実質的証拠力」があるかどうか)は、押印の有無とは別の問題ですよということが書いてあります。

 

問3.本人による押印がなければ、民訴法第228 条第4項が適用されないため、文書が真正に成立したことを証明できないことになるのか。 

・本人による押印の効果として、文書の真正な成立が推定される(問2参照)。

・ そもそも、文書の真正な成立は、相手方がこれを争わない場合には、基本的に問題とならない。また、相手方がこれを争い、押印による民訴法第 228 条第4項の推定が及ばない場合でも、文書の成立の真正は、本人による押印の有無のみで判断されるものではなく、文書の成立経緯を裏付ける資料など、証拠全般に照らし、裁判所の自由心証により判断される。他の方法によっても文書の真正な成立を立証することは可能であり、本人による押印がなければ立証できないものではない。

・ 本人による押印がされたと認められることによって文書の成立の真正が推定され、そのことにより証明の負担は軽減されるものの、相手方による反証が可能なものであって、その効果は限定的である。

・ このように、形式的証拠力を確保するという面からは、本人による押印があったとしても万全というわけではない。そのため、テレワーク推進の観点からは、必ずしも本人による押印を得ることにこだわらず、不要な押印を省略したり、「重要な文書だからハンコが必要」と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義であると考えられる。

 

問2をもう少し詳しく掘り下げている内容です。

押印はあくまで文書の真正な成立を立証することを推定するものであって、押印があったからといって、相手方による反証があれば必ず本人が作った文書だと認定されるわけではありません。押印にそこまでこだわる必要がないとこと書かれています。